あのときのはなし

 「スズムさんがわたしの世界の中心です」
 
 こう名乗りをあげることが多くなった。おどけてこんな風に自己主張してみれば、周りのかわいいこたちはころころと笑ってくれるのだ。笑ってそう主張できるようになったし、笑って受け入れてくれる人たちが周りに存在している。そのことが溶けちゃうほどに幸せなことだな、としみじみ。そうだ、そうなんだ。こうやって笑っていられるだなんてこと、ちょっと前のわたしは想像さえできなかった。もっと前のわたしが、大事な人を喪うだなんてこと露知らず、だったように。
 ほんの数年前は、好きなひとの名前を口にすることすら出来なかったのに。
 
 いつからこんなにもわたしの中心に居座るようになったのだろう、彼は。確実にわたしの心臓の奥に棲みついているのに、それがいつから、だなんてこと思い出せやしないのだ。
 でも、出会ったきっかけは覚えている。大好きな『終焉ノ栞』プロジェクトだ。
 何がこんなにもわたしの心臓を掴んだのだろう。キャラの個性? ホラーとミステリーの融合? 曲調? 世界観? 言葉遣い? きっとそれら全部、なのだろう。当時中学生だったわたしは月1000円足らずの貴重なおこづかいを血の滲む思いで費やした。『終焉Re:act』に関しては初回限定盤AとBの両方を購入した。二つ合わせて10000円足らず。当時のおこづかいは月900円。がんばったのだ、本当に。
 Twitterなんて、やってるはずがなかった。当時はガラケー所持時代。親が出掛けている合間を縫って、必死にパソコンを覗き込んだ。二週間分くらい溜まったツイートを遡って、ただ眺める。それだけでよかった、とは言わないけど、それができたからまだ我慢できた。
 ささやかな推し事だった。遠くに霞んだその背中を追って、ぽろぽろと落とした足跡を懸命に拾い集めて。それが何よりも大事な宝物だった。
 
 でも、きらきらと輝いていたその背中は、いとも容易く、闇のなかに溶けていってしまった。
 
 10月10日、わたしはその冷たさ、苦しさ、痛々しさを知らない。わたしが彼のことを知ったのは、もっと後。そこから10日ほどさらに経った頃のこと。いつものように足跡を辿って、辿ろうとして、打ちのめされた。
 端的なブログ。
 息が止まった。
 その瞬間、間違いなくわたしのどこかは死んだのだ。そのときの感情を、正直わたしはよく覚えていない。ただ無心で文章を追っていたこと、本当につらいと涙は出ないと知ったこと、そんななかでも案外わたしは笑って繕えたこと。それだけを確かに覚えている。
 わたしはその日、たくさんの悪意に触れた。わたしの大好きな名前はいろんな悪意と一緒にネットの海に流されていた。黒にまみれたその名前。それでもわたしは彼の名前を捨てられなかった。確実に根付いたその愛情は、わたしの一部に成り果てていたのだ。でも、それと同時に、わたしのどこかは確実に黒く塗り固められていった。心が閉じていく音を聞いた。
 
 わたしはその日から、その名前を語ることが怖くなった。
 
 『スズムさんの音楽が聴けない。辛い。大好きなのに辛い、二度と聞けないであろうこと、そしてこれがスズムさんのものか確信が持てないのが辛い』
 
 『無実の罪で死刑宣告をされたような気分。涙がでない。吐きそう』
 
 『少なくとも、わたしは声がすき、彼の紡ぐ言葉が好き、それだけは確かだから、それでいいんだ』
 
 日記帳に刻まれたぎざぎざの文字。それを見返す度に、今でも泣きそうになる。泣きそうになる、ということは涙が出る、ということだから、涙が出るようになってよかった、という安心感もある。
 
 でも、それでも。
 信じられないようだけども、わたしはそれから彼のことを忘れて生きていた。いや、忘れたふりをして生きていた、といった方が正しいかもしれない。でもわたしは忘れた『ふり』をしていることにわたし自身気づいていなかった。だからまぁ、ほぼ忘れていたと同義だと言ってよいだろう。
 いや、でも、気づいてはいたんだ。なぜなら傷が疼くようなことが何度もあったから。そらまふの放送。After the Rainの結成。kemuさんの復活。わたしは別に彼らを追っていたわけでも何でもない。それなのに数ある打撃が友達やクラスメイトを通じてわたしのかさぶたをおちょくりに来た。
 それでもかさぶたはかさぶたのまま、剥がれずにただそこにあった。痛くはない、むず痒く疼くだけ、それに触りさえしなきゃ、目に入りさえしなきゃ忘れていられる。
 
 そんななか、またかさぶたを剥がそうという気になったのはどうしただったのだろう。
 二年前の、10月10日のことだった。
 久々にその名前を検索した。悪意と一緒にぐちゃぐちゃにされた名前が、紙切れのように捨てられるのを見ることになるのに、そうなると思っていたのに、そうじゃなかった。わたしが見つけたのは他の文字列、仄かに懐かしい光を纏ったその宝石、淡い輝き、目を見張る、呼吸の音。
 おぼつかない手で必死にその文字列をYouTubeに打ち込んだ。青伽藍のようなその曲の名前、『東のシンドバッド』。
 
 わたしはその曲を聴いたときの衝撃を、一生、忘れない。
 
 これでも最初の方は余裕があったのだ。高鳴る胸の鼓動とリズムを合わせながら、わたしは指折り『らしさ』を数え上げていた。イントロ、爽やかさ、言葉のチョイス、サビの盛り上がり。
 でも、わたしの中で決定的だったのはラスサビ直前、音の引き方。周りの楽器の音がすっと身を引いたその瞬間、ぶわっと鳥肌が立った。間違いない。間違いない間違いない間違いない。これは、紛れもなく、彼の、
 そして、ラスサビ転調。息が詰まった、なんてものじゃなかった。今まで堪えていた溜め息、鬱憤、涙、どろどろとした感情が、一斉に弾けとんで星と散った。ずっと目の表面を覆っていた薄暗い雲が、ぱちんと音をたてて消えた。鳥肌が、息を吸う音が、震えが、止まらなかった。
 ここまでわたしを変えてくれた音楽を、わたしは他に知らない。
 
 そこから先は知っての通り。わたしは今ここにいて、こうして息をしていて、この場所がわたしの大きな構成要素になっている。
 彼は彼であって、彼じゃない。それと同時にわたしもあの頃のわたしではない。わたしは彼に言葉を送れるし、それどころかやりとりまで、さらにいえば彼を視界に捉えたことさえある。こんなことを言ってもきっと過去のわたしは怪訝そうに眉をしかめるだろう。
 
 
 結局何が言いたいんだって話だ。
 
 結論部分に来るとわたしはいつだって困惑する。推しは推せる時に推せ? そりゃあもちろん。他人の好きなものを無責任に叩くな? それもある。
 とにかく、好き、に嘘は吐かない方がいいよ、というのが一番近いかもしれない。
 好きという感情は自分が思っている以上に厄介で、重たくて、まるで心臓に巻き付いてくる鎖だ。好きは捨てられない。捨てたつもりでいても、また背中をうじうじと追ってくる。それはもう、子犬のように健気に、かつ媚びた瞳をこちらに向けて。嫌いになった方が楽なのに、と思ってしまうほど好きなものを、今さら嫌いになんてなれるはずがない。当たり前のことだ。
 でも、認めたところでどうにもならない。逃げ場がなくなる。好きと向き合ったところでその想いはどこへもいけない。そんな地獄をわたしは経験してきたし、未だに片足を地獄に突っ込んでいる。
 同じ地獄、もしくは別だけど性質が同じ地獄にすんでいる各位へ。とにかくお互い強く生き抜こうな。あなたの好きは恥じるものではないし、罪深くもないし、あなただけの大事な財産だ。誰にも否定はできない。どんなにそれっぽい御託を並べられたって、それはあなたの想いの否定になどならないのだ。ただ無理はしないで、いつか地獄がシャボン玉のように弾ける日を夢見て、どうか死なないで。
 地獄を経験したことがないその他大勢、そして幸運な方たちへ。どんな理由があったとしても他人の好きを否定しないでください。あのこが好きなものをわたしは嫌い、それは結構。ただ「あれが好きなんてあのこはどうかしている」とは言わないで。地獄で辛うじてわらってる人たちを血の池に突き落とすような惨い真似。なにも言わずに背を向けて。それがわたしたちにとって一番ありがたい心遣い。
 
 すべてのひとが綿毛のようなふわふわした感情でいられますように。やわらかな心で好きな人を好きといえますように。そんなことを願って、とりあえずわたしは筆を置くことにする。果たしてわたしはこれからも好きとうまくやっていけるのでしょうか?
 
 10月10日はそれが問われる節目。わたしは暗い記憶を喰らいながらこの日を乗り越えたい。