底の記録

なにもしたくない、なにもうごきたくない。
ゆるやかに頭上を抑えつけるような、透明な倦怠感。夜が静寂を吐き出すように、脳髄が無色に覆われていく。スマホの画面を、ぼうと眺めていた。文字の波で指先を濯ぐこと、動画を眼球に映すことさえ、気怠くて堪らなかった。ホーム画面を、ただ見つめている。布団を被って、ぱちんと部屋を暗闇で満たすことすら面倒くさい。ただ時間が過ぎゆく感覚を、薄ら寒い焦燥感と一緒に弄んでいる。
自分の中身の、あっけないくらいの軽さ、そのくせ心臓はずしんと重たく思える、この嫌な対比。顔をしかめるほど嫌悪してはないけれど、薄紙が顔の上に被さっていることに今更気づくような、些細な異物感。この手のひらには何もないのだ、という当然の事実。わたしだけじゃない、皆なにかを持っている気がしてるだけで、実際は情けないほど空っぽだ。中身を詰め込むことなんてできないから、空洞を覆い隠すために、必死に外側を飾り立てる。そんなことくらい分かってる、つもりだったけれど、いつの間にかわたしは、何かを持ってる気持ちでいた。お前の上位互換はいくらでもいるよ、お前が誰かの上位互換であるのと同じように。いつもは忘れているそんな当たり前も、今はささくれだった心によく刺さる。
どんどん、何かを零しているように思えて仕方がなかった。自分がどんどん凡庸になっていく。尖りを失っていく。かといって柔らかくもなっていない。言葉も感情も、どことなく借り物のようだ、という定型文までもがどこかで聞いた言葉なんだから、もう、どうしようもない。十代のうちに綺麗に散っておけばよかった、と思うけれど、十代の自分が綺麗だったという前提が、そもそも幻想だ。
感情の波形を思い浮かべる。今は割と、底に近い。それはわかる。朝が来れば、きっとこの感傷は笑い飛ばされる。だけどまた底に潜れば、沈んだこれらをまた見つける。掘っては埋めて、埋めては掘り出す。目につかずとも、消えてくれることはない。水に揉まれて、少しずつ削れることはあるけれど。あと何度、あなたたちと顔を合わせるのだろうか。もう何度、顔を見ただろうか。最初に会ったのはいつだったっけ。もう、忘れてしまった。
そろそろ文字を吐く指が、動きを鈍らせてきた。希釈された倦怠感と不快感が、純粋な眠気に上塗りされていく。きっと明日、ベッドから這い出したわたしは、この文字列を鼻で笑う。仰々しく、薄暗く、馬鹿らしい。黙ってさっさと寝ればよかったのに。呑気さで固められたわたしは、沈み方を普段は忘れている。きっと瞼を閉じれば、今回も忘れる。今の深度に至った理由に、首を傾げて頬を掻く。
重さを帯びた手で文字を綴ったほうが、切れ味がよくなる傾向がある。だから何とか字を連ねてきたけど、結果はこのとおり、灰色の睡魔が絡まるような、鈍い文字列の完成だ。刃の研ぎ方も知らないまま、ここまで来てしまった。刃こぼれするのも時間の問題かもしれない。そんなつまらない可能性を直視するのも嫌なので、黙ってわたしは帳を下ろす。なにかをしなくちゃいけない、なにかうごかなきゃいけない。そんな煩い直感だけが、重たい底で燻っている。