ゆめのはなし

天衣無縫、という言葉に突っかかった。

昨日の帰りにわたしが書いていた小説の一部分だった。読み直して、手直ししているとき、ちょうどその言葉に突き当たったのだ。天衣無縫。その言葉が何故かわたしの心を波立たせる。厚い氷の下の冷たい水。無意識という水を大きく荒ぶらせる。氷に小さくひびが入った。あぁ、わたしはこの言葉を夢で見たのだ、と気がついた。

なんの夢だったのだろう、とわたしはぼんやり思いを巡らせる。思い出せない。ただ、漠然とした感情だけが、薄靄のようにわたしの心の表面を覆う。それは、何だか甘苦かった。何かを懐古するときの心情ににている。せつなさ、が一番近いかもしれない。だいじなもの、その刹那さに恋い焦がれるような、切なさ。それをもっと煮詰めたもの。お砂糖を熱で焦がした、あの匂い。

大事なものを夢で見た気がする。なのに、手がかりは、天衣無縫。それだけ。大切なもの、大切な人を思い浮かべてみる。
夏。小説。体育館。ボールを弾く音。夜の電車。全部違う。

夢の中でしか会えない風景、会えないひとがいる。それかもしれない。わたしはそう思って溜飲を下げた。夢の中で、いつも思うのだ。あぁ、またここに来た。またあなたに会った。それなのに目が覚めると思い出せない。残っているのは、既視感。また会えたね、の名残だけ。

ゆめって、なんだろう。わたしの夢は、色鮮やかだし、匂いもあるし、食べられるし、痛みだって、する。夢だ、と気づかせてくれるのは、違和感、それだけ。文脈から逸脱した突飛な展開、現実ではありえない不可思議な現象。でも、夢の中にいるわたしは気づかない。ぱち、と目が覚めて初めて、わたしはその歪な継ぎ接ぎに気づくのだ。

色の鮮やかさが印象的で、忘れられない夢がある。わたしは夜、ベランダの窓を閉めようとした。電灯が僅かにぽつぽつと灯る、薄黒い夜だった。網戸を見る。ちいさな蟹が引っ付いていた。親指くらいの大きさ。こども、だと思う。茹でたてみたいに真っ赤な蟹だった。ぷくぷくと細かな泡を吐いている。僅かな光を反射するその甲羅とぶくぶくをみて、わたしはなぜか、心底ぞっとした。そんな夢。たしか、長い長い夢の一場面。だけど、わたしはこのワンシーンだけが忘れられない。

夢の欠片、名残を掴めたとき、わたしは嬉しくなる。その欠片を引っ張って、後ろにずるずるとほかの破片もくっついてきてくれれば大成功。後ろにおまけが付いてこない時は、仕方ないのでその欠片を大事に両手で抱え込む。どうしてこんなに大事に抱き抱えるのか、それは自分でもわからない。
ただわたしは、夢が引き摺り起こした感情を、なぜだか捨てきれないのだ。